右門(脚本と演出について覚書)

2/7の市民劇でやる「右門」は、一応 史実を元にした演劇作品である。この作品に携わる中で、関係者(仕掛け人)サイドより

「歴史(史実)は勝った者によって紡がれる(書き換えられる)」

と いったようなフレーズが繰り返し出るのを聞きながら、イマイチ 実感というか、ピンと来ることができなかったのだけれども、台詞の背景を探ろうと(ネット検索だが…)史実を調べていくと、ふむ 確かに そういうところあるかもしれない、と思う部分が多々でてきた。


脚本・演出を担当してくださる山下さんは 元国語教師であり、ペンネームを持って 小説も書いて来られた方なので、史実に基づいて物語を再編する力に長けている。私に同じように書くのは無理だろう。そんな自分を棚上げし、台本の初読後の私個人の感想としては「言葉が難しい」「シーンによって同じ人でも呼び名が違ってわかりづらい」「早着替えは時間的に設定に無理がある」「伏線がわかりづらい」「何を主張したい作品なのかよくわからない」という散々なものだった。(どの口で言うたの?!って位 生意気)


山下さんに演出方針について伺ってみたところ、「右門については その功績に関し 様々な見方があるゆえ、あまり煽情的な内容にはしたくはない。史実に基づいた作品といえど、残っている史実の正確性が担保されない時点で ファンタジーにならざるをえないという見方はあるが、”右門賛歌”といったような単純明快な主題を決めてやるのではなく、見てくださる方に自由に感じ取ってもらいたい。」といったような意向を伺い、なるほど、それなら腑に落ちる!と色々ともちゃもちゃ言ったことを引っ込めました。その後、山下さんは 色々 無責任に言ったことの中でも 山下さんが腑に落ちたことについては 拾って台本に反映してくださった。あとは演技が追いつけば何とか… という感じです。


また、余談になると 山下さんは戯曲家の中でもロシアのチェーホフが好きだそうで、理由は「どこの劇団がやってもチェーホフが書いたものだと思える個性がある」からだそう。チェーホフも小説家であり戯曲家であったようですし、彼の書くものはときに「気分劇(気分や雰囲気を伝える劇ということ?)」と称されるらしいという点も含めて、山下さんの「右門」も そのようなイメージで書かれた作品ではないかと感じています。


それにしても 手探りとはまさにこのこと。現役高校生の出演もあるのですが「自分が高校生の時、果たして これからやろうとしていることに脳みそついていっただろうか?」と思うと どきどきする。でも、彼女たちにとっても 確実にいい経験になる企画だと思うし、参加された方が何かしら良い経験をそれぞれの生活に持ち帰れるよう、自分ができることで チョコマカ 動いていけたら良いなと思います。


不器用なりに自由を求めてあがいてる女の日記

明るく、おかしく、逞しく。