決断する優しさ

悪い男って日記は、私の仕事(バイト)の件だったのですが、前回の設定を引きずると、結果的にA子と繋ぎかけた手を離し、B子と正式なお付き合いをすることで 一旦落ち着いた。


仕事以外のことで、やりたいこと、やろうと企んでいたことが沢山あったので、手放したことで、今まで やれていなかったことが一気に動き出した。もっと早くに自分が決断すべきだった。決断しないことで沢山の人を振り回した。


8月のイベントの件でも、同様のことがあった。それぞれ別のジャンルで活動する5人(音楽2、写真1、絵1、演劇1 という割合)で集まり 一つの作品をつくるという、初めての試みを予定したのだが、軸がキチンと決まり切っていない状態で見切り発車してしまったのである。にもかかわらず、個人的な仕事をルーティン化する暇がなく、想定以上に頭も予定もいっぱいとなり、声をかけたメンバーへの説明や準備期間が不十分で、不信感と置いてきぼり感を募らせてしまい、「企画を降ります」と 言わせてしまったのだ。正直、これは私の優柔不断がなした結果。かなり落ち込みました。8月にやろう!と無理矢理 予定をねじこんだのも自分だったし、中止にしろ 延期にしろ、本来 決断をすべきだったのも自分だったと思う。忙し過ぎると自分を見失ってしまうな。結局、会場への話しもあるので、8/15は1人芝居ないしか2人芝居を予定しており、8/22にいたっては無しにしました。


まぁ 傲慢だった。自分のキャパも顧みず、欲張ってしまった。

勿論 そこに悪意はないけど、人を巻き込んだ割に やり方が子ども過ぎた。猛省です。


捨てる神あれば拾う神ありではないが、それがなくなっても 忙しいことに変わりはない。むしろ、なくなったからこそ そちらに注力できるという意味では、手を離した人たちから 見習うべきことが沢山あると感じている。

アマポーラフェス、AIR SPLASH、11月のお芝居、7月の紙芝居パフォーマンスお手伝い。プライベートではそろそろ 入院中の祖父が 今年 もつかどうかの衰弱具合だし、大切な人が落ち込んだり、元気がなくなっていることも最近多いが、愛情はあっても突き放すことも必要なのではと、自立と依存と愛情 について考える。優しくするのは簡単だ。でも それが相手のためにならないなら 傷の浅いうちに手放すことも優しさじゃないか?と 今 学んでいる気がする。

不器用なりに自由を求めてあがいてる女の日記

明るく、おかしく、逞しく。