私はマザコンの自覚がある。何しろ 小学1年の時の将来の夢の欄に

「母と一緒に働くこと/T山大学に行くこと(=地元の大学を出て地元で結婚して地元で幸せな家庭を築いて欲しい といつも言われていたから)」

などと 書いていたからな。弟ができてからは猛烈に嫉妬して弟をイジメたし。←


ただ、幼い私がいくら「こう言ったらお母さん、喜んでくれるはず!」などと ゲスいこと考え、夢を語ってみても、生来のわがままな気質を己で御せず。T山大学の受験もしなければ、今まで一度も 一緒に働いてないし、結婚 子供だって 期待にお応えできてない… まぁ、そういうもんだよね なんて言って、本当は母を愛しているとか言いながら、自分が愛されたかっただけなんだろなとか。承認欲求。「馬鹿な子ほど可愛いはず!」と思っていた気がするよ。←腹黒


そんな大好きな母だが、祖父が亡くなってからは、叔母と毎日のようにやりあっている。まー よく体力持つな!ってこちらが思う位に 互いに ディスりあっている。皮肉にも血を感じるな。「絶対に自分が正しい!」ってスイッチが入ったら もうテコでも動けないところが、私も経験があるので よくわかる。自分の正義を貫こうとする姿を客観的に見たらこうなるんだなーと勉強させてもらってる気がします。

主張の中身に関しては母に概ね共感しているが、互いの感情を逆なでして煽り合っている姿を見ると、まぁ… ドッコイドッコイかも と思ってしまう。伝え方 大事。相手が感情で物事 語る時は、内容の矛盾点を指摘して追いつめて何が言いたいの?と詰め寄って煽るより、ひらり・のらり・くらり・ブサって方が円満な気がする。理性的な言葉は、ちゃんと受け入れられる時とそうできない時がある。


私は結局、人間は最後には理性より感情だと思う。だから 結果にこだわるなら、自分の行動は感情に流されてはいけないような気がする。相手の感情を、自分が持っていきたい方向に流していくという 詐欺師まがいなことが必要なんだと思う。


でも、それがうまくできない母だからこそ 尚のこと じれったいなーと思いながらも 愛しく思い 応援したくなるような。矛盾につぐ矛盾。突き放したり 歩み寄ったり 自分の考え押し付けたり 拒否したり 結局、受け入れたり。

祖母のグループホーム入居の件も、母が コロナ禍の面会謝絶によって 祖母の死期が早まることを恐れるなら、家で引き続き同居することになるだろう。気持ちの下に思いやりがあると思うから 耐えれる所業だが、それが感じられなくなったら、やっぱり 預かってもらうことが互いにとっての愛情だと再度 主張するだろう。本当の愛とか 思いやりって、一体何なんだろうなぁ。

不器用なりに自由を求めてあがいてる女の日記

明るく、おかしく、逞しく。