熱量

過去のFBの記事を全部ワードにコピペし、再度読み返して、自分の経験してきたことなり、自分のキャラクターや雰囲気を客観視&分析する試みをしているのですが、仕事を辞めてから暇を恐れる挑戦の1年の投稿頻度と、忙し過ぎてオフの切替が全然できなかった会社員だった頃の投稿頻度を比較すると、10倍位?違ってた。我ながら熱量が凄い。


でも 諸事情で立ち消えてしまった各種企画の断片とかも散見しており、「コレ」というものを決める大切さ?覚悟?を そろそろ持ってもいい頃合だと思った。上手くハマれば、身体が3つ欲しいとか 何度も言わずに済むだろう。脱・器用貧乏/板挟み/無計画。。。


亡くなった祖父に関する投稿は、もっと残していると思っていたのに 思っていたより少ないなと思った。記憶とは曖昧なものだ。

今日は 祖母が帰ってきてから”いつものように” テーブルの上にあるすべての食べ物(今日はかぶき揚げ、柿の種、りんご、みかん、クルミパン)を食い、祖父の遺影が飾ってある仏壇でチーン…南無南無をし、戻って来て涙目になっていて、夜ご飯を食べにゃなりませんと わめき、あんたらちも食べられ!と一人でご飯を食べる寂しさを堪えながら モシャモシャ食いつつ… ふと「なんか、わし食欲ないわ… 死ぬがかな。身体も寒いし、風邪ひくがかもしれん。」と言い出し「…いや。さっき沢山 食べとったからや。あれだけ食べた後にご飯、豚汁、ポテトサラダ、肉炒め、食べとるんや。そんだけ食べれるもんが簡単に死ぬかいな。」とツッコんだら、「そんな食べてないわいね!」となり、ハイハイ…(いつもの調子です)ってやりとりがあった。


けど、来年の今頃 また同じやり取りができている保証はないんだと去年の投稿を読みながら改めて思う。美容室に行った後、髪の毛切り過ぎてピンピンやねか!と怒りちぎっていたのは過去のこと。今では周りが短く切り過ぎたのでは…?と思う位でも、良いがなったやろとご満悦。


今は今しかない。でも果たして、今しかないのに ここでこんなことをしていていいの?私… って思いに駆られる時が時々ある。行くアテがある訳でもないのに、アッカリすると 心は別の方向を向いている。負担重めで頼りにされると、私が今いたいのはここではない のにって 思いが 強く湧いてきてしまう時がある。でも 今ここに いなければ きっと後から凄く後悔する。だから 今はこうするのがベストだと思ってやってるけど、それで取りこぼすものはあるかもしれないということは想定している。一抹の寂しさや切なさを感じなくはない。


ただ 私にとっての家族は、希望と失望の最大のルーツなんだよね。

不器用なりに自由を求めてあがいてる女の日記

明るく、おかしく、逞しく。