一晩寝て

変わるか?と思えど、そんなに変わらないものだな。
強いて言えば、去年 祖父の死を経験したことで、死に対する免疫(この世からあの世に向かうだけで、肉体が限界を迎えても、魂はしばらく揺蕩う感覚がある)が有効で、不必要に悲しみ過ぎることもないが、愛し過ぎて、半ば私自身が依存している気がするということを確認した。まだまだ 色んなこと一緒にしたり、お話ししたりしたい。でも向こうに旦那さんもいて、向こうに行くこと自体に苦しみはそんなにないのかもしれないと思うと、引き留めて良いのかな、とも思う。

作業中、押しつけがましくなく、さりげなく淹れてくれるお茶やコーヒーがどれほど幸せか。時々スイッチが入って熱くなる姿がどれほど頼もしいか。お手伝いに伺ってご飯をいただきながら、ありがとうと泣かれて笑ってしまったあの時。長々とお話しして初めて知る意外な接点。全部 愛しく、手放しがたい。

思考に隙ができると、どうして欲しいだろう、何ができるだろう、と考える。何か欲しいとかやりたいとかいう想いがあるなら、全て叶えて差し上げたい。美味しいもの、美しいもの、全部 運んで感覚に揺さぶりをかけたい。

でもやっぱり、1番の望みはフェスが長く続くことだろうし、それをきっかけに集まる人達の豊かさが広がってくことだろう。でも 精神的支柱なくして進めることに抵抗もあり、子どもみたいに駄々捏ねたい気もしつつ、それでは前に進めないのだから、今ひとつ 大人にならなければ。安心してもらいたい。

不器用なりに自由を求めてあがいてる女の日記

明るく、おかしく、逞しく。