表現者として

痛み というのは、素敵な経験な気がする。

それは 切なさであり、色気なんじゃないかと 思う。


だから そういう体験を 鬱陶しがってた自分に

抗い難い経験をさせてくれた人には ある意味 感謝だし、

優しい言葉をかけ、気にかけてくれる 周りの人にも感謝する。

優しい人に恵まれてる安心感があるから、好奇心のままに 不幸な経験もつめるのだろう。

失敗しても 励ましてもらえる 恵まれた環境があるということ。


私は実体験の幸せより、自分のやったことを通じて

誰かと共感や妄想の共有みたいなことをしたい人な気がする。

幸せであるに こしたことないと思ってるけど、

弱い人や 優しい人の気持ちを無視するような人には 愛情が湧きたがい。

普通の人がいいと思うけど、自分の思う”普通の人”って 意外といない。


「求めよさらば与えられん」というのは本当にそう。実感する。

手に入らないものは 本当に心の底から求めていないから 手に入らない。

手に入るのは、私が無意識で求めているもの。

毎日は ちゃんと楽しい。「あなた がいなくても」


そういえば あずささんが亡くなってから、

「ここぞという場面で 舞台上で泣く」

ということが、割と普通にできるようになりました。

「いつかできるようになったらいいな」

と思っていたので、思ったより習得が早くて 自分にビビる。今だけかもしれんけど。


全部 覆って包んでくれる優しさを思い出し、安心し、会いたくて、恋しくて、涙が出る。

あの人の前でも あずささんの前でも、私は自分のことばっかりで、ただ 自由でいられた。

その代償が 痛みであり 涙な気がしている。誰も責めることができない。ただ、愛しい。

あらゆる さようならがあるけど、別れって 毎回 本当につらい。

だから 会えることや、共に過ごす時間の尊さに 想いを馳せてしまうのだろう。

不器用なりに自由を求めてあがいてる女の日記

明るく、おかしく、逞しく。