見えざる手

好きなものは好きで、嫌いなものは嫌いで、必要なものはそうで、必要でないものはそう。

痛いことも、嬉しいことも、何でもそう。シンプルなこと。

愛された記憶より、愛した記憶の方が強い。
そういう風に人生が作られていく方が自然というか、充実感があると思う。たとえ 結果が別れとなったとしても、自分が志向することは 結果として現れる別れではなく、互いの本当の幸せなんだ ということを きちんと主張しておきたい。

自分の感情を守ることができるのは 自分だけ。

ただ ナマモノゆえ、如何様にも 動いてしまうもので、扱いに気をつけたいなと思ってはいます。でも、譲れない時は 主張も辞しません。

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大事な仲間と私の迂闊な発言を巡ってモメてしまった。今 私はその企画に対して全然動けてないのだけど、忙しい中、私の何倍も動いてくれてる男が 私のどうしても嫌いな人で、その人に上から目線の嫌味を言ったことで"やることもやってないで何を言っている"と顰蹙を買い、MTGでの情報共有もはずされた。それで "私はもう要らないですね。"と言って運営を抜けた。我ながら勝手だけど 必要な主張だった。

運営委員であるかどうかは 自分にとってそんな大事なことじゃない。大好きな企画の中で自分が邪魔な存在になるなら、そんな悲しくて惨めなことはないので、身を引くのも1つの選択肢。私があの場やあの方を大好きでいる気持ちに変わりはない。もし可能であれば ただ参加者の1人として、偲んで 心を寄せたいし、やることがあれば手を差し伸べたい。

強制されたり、上から抑え込まれたりするのは とかく耐え難い。

その男のことは 悪い奴とは思っていない。私なんかより 余程 ある種の忠誠心やら義理堅さがあると思う。ただ 色々あった末の込み入った嫌いさがあり、それはなかなか拭えない。

一緒にいて学んだこともある。"人間はどんなに外から他人に言われても、自分が変わろうと思わない限り変わらない"ということ。人は鏡で、相手に向けて放つ言葉が自分に返ってくるということ。

相手も多分、うまく説明できない苦手さを私に感じていると思う。それが情報共有不足という形で仕事に出る。私は本来、リーダータイプの抜け漏れを埋めたり、ギスギスした雰囲気を緩和するサブタイプの役割を担いがちなので、情報不足では うまく動けない。

でも確かに知ろうとしてない自分の非もあるなと、フォローを外していたその男の投稿をチェックしてみた。確かに動いてるな。そんな直ぐには、自分も他人も、一度 萎えた気持ちが盛り上がることもないだろうが、神になったあの方が見守ってくれている感覚があるから、安心して流れに身を任せていく。

流水不腐。

不器用なりに自由を求めてあがいてる女の日記

明るく、おかしく、逞しく。