恵まれてる

仕事をクビになっても、必要としてくれる場所があること。そこは私がプライベートでも足を運んでいた場所であること。クビの事情を話しても、困ったなと笑いながら受け入れてくれる人がいること。ただ 安心感。からの等価として私のできることを場に提供する。


インド旅への伏線として、「自分の意志で 自分の人生を選択する」ことをやりたく、まずは実家を出るところから!と思うも、手のかかる祖母の面倒などもあり、なんとなく家族に気を遣っていた。が、出る時はそりゃ やいのやいの言われたが、1週間ほど家をあけて帰ってくると、意外と思ってたよりチクチク言われなかった。キョトンとしてたら、「”(私の)自由過ぎる感じ”に反発する母を、父がなだめてくれていた」と気づき、お父さん ありがとう!モード。夜はハイエナのように日本酒をねだる私と母にそれをくれ、ストーブの灯油がなくなれば 仕方ないな〜と 給油してくれる。本当に優しい父。


ここ1週間位 家をあけてる間、自家製ラーメンの試食、玄米麹づくり、味噌の仕込み、米粉たこ焼きの出店、乳幼児との戯れ、コーヒーの焙煎、台本づくりのアシスト などやりつつ、春先への思いを膨らませていた。春がくれば ふきのとうの収穫と加工、野菜の芽出し、山には花が咲きはじめるので 花のジャムや養蜂の蜂箱を設置し、田んぼでは田植えがはじまる。今は基地に居候の身だけど、住むところが決まれば 自分の時間を自由に設定し、したい仕事でいくばくかの金を稼ぎ、書きたいものを書き、憧れの人が読んでいた本を読み、手伝える時に自然の恵みに触れる 牧歌的生活がはじまる。幸せ。


前職の時の自分を顧みれば、他人を変えることなど できないのに(てか その自信も熱意もないのに)、考えが合わない/理解できないと 毒を吐きながら、甘い蜜だけ吸って その場に居続けた気がして、自分の行いを浅ましく感じる。長い間 一緒にいると 引っ込みがつかなくなるなぁ。楽しい時間もたくさんあったし、全てが嫌だったわけじゃないけど、心配するなら もっと寄り添って支えてあげればよかったのに それはできなかった。一度 寄り添えば この先ずっとそうなる不安があり、自分のスタンスを崩せなかった。でも そういった紆余曲折のおかげで 今に辿り着いてるので、(合わなかったとかはおいといて)感謝の気持ちは本物です。


私の心は、亡くなられてから10ヶ月近く経つけれど、未だ 永くあずささんのことを想っていて、何かしら折につけては 彼女から受け継ぎたいと思った ものの考え方 や 価値観 について思いを馳せたり、フェスの思い出を語ってくれるお客さんに会えば それを報告したくなり、新しく住む家に 藍染ののれんとドアベル を設置する様(風が吹いて のれんが揺れ、ドアベルが優しく鳴る初夏)を想像しては その未来を手繰り寄せたくなる。最近は忙しくて 泣いてないけど、じっくり浸れば やはり泣けてくる。寂しいのかな。彼女との思い出は すべてが美しい。私はせっかく生きてるのだから、日々の時間、目の前の人、物、ことを、きちんと慈しんでいたい。

不器用なりに自由を求めてあがいてる女の日記

明るく、おかしく、逞しく。