誰と一緒に生きていきたい?

大学の時、ど短期インターンに行った先で、悩みに悩んで、結局 そこでは働かなかったけど、その時 一緒にいた人から言われた言葉を思い出す。

「仕事は1日8時間。寝る時間もあるし、仕事仲間と過ごす時間は、家にいる時間より長い。自分の人生の時間を 一体誰と過ごしたいか。それを基準に仕事を決めたらよいのでは。」

時間の価値、を言ってくれる人に憧れる。ともすれば お金の価値を軸にして生きている人が多い時代だ。

でも 感情に溺れると、時間の価値は どうでもよくなってしまう。そうなってしまうことに漠然と抵抗があるので、私の優先順位を下げる人には 私も優先順位を下げる。けど、そういった駆け引きを超えた先にあるものに、私はまだ出会っていないだけかもしれない。

今まで お世話になった人とか、今 お世話になってる人よりも、新しい行き先を優先してしまう。そんな 自分の冷たさを受け入れるのが苦しい。心の底からいい人であれたなら、私はこういう風にしか生きられない、と開き直れて 悩まずにすむのでは。いい意味で自分の器を認めたい。そんなに上出来な人間ではないんだ。

震災ボランティアについては、してあげる感強い人よりも、させていただく感強めで、現地の人の気持ちを察したい人の方が向いてる気がする。いや、自分がそういうメンタリティで関わった時に 得るものが多かったから、そう言いたいだけ。他人の気持ちはどれほど慮っても理解するのが難しい。そう考えている人の方が 得るものが大きいと思う。支援者側に明確な伝えたい思いがなくとも、要支援者側に想いが伝わる時は、何かしら伝わるものだ。

人は人のために生きて 人となる、という言葉を 今日たまたま 目にしたのですが、みんな 同じ重みの命なのだ、ってことを 実感できる機会として、つらい災害などが起こるのか?と自分を納得させる。わからんわ。ふつーにつらい。困っている人がいたら、できる範囲で 手を差し伸べることが、人として当然の行いだと思える人でありたい。

不器用なりに自由を求めてあがいてる女の日記

明るく、おかしく、逞しく。