考え過ぎならいいけど
「良い人」とか「良い奴」って人から言われると ちょっと不安になる。
それ、頭に「都合の」ってついてます?って思っちゃうのだ。もし、そう思われているなら、そんなに 良い奴でもないよと釘さしときたい。
自分の権利の主張に躍起になれるタイプでもないけど、嫌なことは嫌だと言うし、自分の義理や正義は通す。割に合わなければ本音を伝えてスパッと距離をとるし、プライベートでは 相手に考えて欲しい時は、いきなり連絡をたって放置もする。忙しくて、優先順位的に手が回らない相手には返事を遅らせてしまうこともあるし、愛想はいい方だと思うけど、性格はそんなによくない気が…。
でも そうやって飄々と生きながら、人から手を伸ばされることへの有難みは感じているし、自分のやりたいに手を伸ばし続けていく大切さ、楽しさ、しんどさ も感じています。
会社を辞めたばかりの時に安請け合いしてしまった色々に関するツケを払ってる気もするけど(自分で蒔いた種)無償前提であったのが有償になったり、人からやってと言われたことより自分がやりたいことを優先していいという自分の心境の変化があったり、それに伴って 自分にとって良い環境の変化があったり。(明日のオンライン台本読みも楽しみ)
たまたまコロナの時に生き方を変えたから、個人的には コロナ期に対してのネガティブイメージはあんまりない。(勿論 かかりたくはないです。)
でも、急に連絡がとれなくなった自分の友達(つい先日、一旦は連絡がとれ 心底 安心した)は職種的にモロに影響被ってると察するし、コロナでネガティブが爆発して、一旦 空っぽ 状態になったのかなと感じてる。再スタートは、小器用にきらなくていい。自分のタイミングで良いと思うよ って、できれば 直接、伝えたい。焦らせたくはない。でも、会いたいっちゃ会いたい。どうすれば うまく伝わるだろうか。
明日で東日本大震災からちょうど10年。あの時、婉曲で私的な理由で炊き出しボランティアで仮設住宅を訪れた際、当事者感情を目の当たりにした経験は、確実に私を変えてくれた。「自分には何もできない。何もできない自分が行って、冷やかしと思われて徒に心を傷つけてしまったらどうしよう」などと 思ってビビりまくっていたけど。心の傷を負って疲れ果てた人は、具体的な誰かを求めて助けを乞うのが申し訳ないとか人に自分の思いや考えを伝える元気がない、自分の思いをまとめる気力がない、受け取る力もない、と思っていたりするんじゃないかと思う。本当に何気ない”偶然の出会い”や”予期せぬ出来事”が、パッとその瞬間、人の心の扉を開けて 風を通し、自己回復力を湧かせる瞬間があるんだって、あの時 身をもって知った。相手の力を信じるように、自分の思いが伝わることも信じたい。でも、しつこくはなりたくない。客観的に自分を俯瞰して、いいように使いたい。
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