寂しいとネガティブになるのかな?
祖母の妹である叔母が 7月に旦那さんを急に亡くして以降、急速にボケが進んでしまっている。若い頃はチャキチャキで、叔父の生きていた頃も 割合 チャキチャキだったんだが… 落差が。夜、眠れていないと言っていたのもあるかもしれない。
睡眠不足や孤独は、想像以上に人をネガティブにしてしまうのかもしれない…。自分の老後の心配をしてしまう。←結局、自分のことかい
発達障害とか認知症とかの人は、結構 もうこの世の中に沢山いらして 生きづらいながらも精一杯生きてると思うのだけど、その人たちを支える周りの人達の生活っていうのも勿論あって、そういう人達の心のケアを含めた寄り添い?みたいなものは、今後 凄く大事になってくる気がしてます。
別に障害や病気の有無関係なく、大変な人は大変だし、そうでもない人はそうでもないんだろうが、今日 携帯をなくしたとテンパっている叔母と一緒に叔母の家に行って1階~3階まで網羅して携帯を探し、携帯ショップに行って携帯を止めてもらい、警察に電話して遺失物届を発行してもらい、代替機を手配するために補償センター的なところに電話をかけたりってことをしてる間に「この徹底した電子化・マニュアル化が進む現代って、何て不親切なんだろう」と 思いましたな。(っていうか、姪の娘というかなり遠い関係性なのに 差し出がましいことをしてるよな っていう感覚もあったんだが ついつい…汗)
だいぶボケ症状が進んできてしまっているおばが、私が一緒に対応したことのすべてを一人で進めるには 果たしてどの位の時間がかかるだろう と。話の分かる親切な担当者にあたるまで マニュアルに沿って たらい回しにされただろうな とか。でも 確かに、自分も通常業務をサクサクこなさねばならない時に、しっかり 話しを聞かなきゃいけない&本人確認もとれない人に当たった時は、責任負いきれんし 及び腰になるかもしれない、とお店の人の気持ちもわからんではなかった。本人確認もとれない状態では、と。おばの息子夫婦さんらとの関係性は決して悪いわけではなく、キチンとやるべきことを対応されている。ただ 言葉がけにトゲを感じるのか、怒られるのが怖いから、息子に言うのはこわい、になっちゃう。1人で生活をしていると 寂しさが助長されてネガティブになっちゃうのかな。寂しさ感情には魔物が棲んでいる…。
おばには幼少期からとてもお世話になっているし、世話になった幼少期の返しができるならこれもご縁だな 位の思いだったが、「弱い者に優しくありたい、人には感情がある」と改めて思わされる一日であった。綺麗事だけでは生きていけないけど、人の気持ちを大事にできない人間には なりたくない。傷が大きくなると、歪みが生じてしまう気がする。でも傷つける側も傷つける意志なんてないってのが、難しいんだよな。
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