明日のハナコ
劇団 血パンダさんので観た。高校生の書いた瑞々しいセリフを、かつての少年少女達がやるというのはなかなか面白かった。
結果的に、"はからずして大人同士の代理戦争を引き起こした"というか。私のチャラい感想では、上演禁止に異論を唱えない大人もいれば、自主的に代理上演をやる大人もいる、大人にも色々あるし、未来は選べるんだ、となったわけだけど、個人的に、この脚本を書いた子が、この二次事象に関して脚本を書いたらどんなものが出てくるのかな?と、それが気になった。いわゆる、「もっと書いて」・「魅せて」という 次回作への期待。
コロナが広まってから、日常が劇的なものとなり、本来 非日常で劇的であるはずの演劇が ありきたりにすら見えてしまう ここ最近。
日常に潜むドラマは その色濃さをどんどん増しており、私自身は"他人のことを(わかりたいのに)全然わからないんだな" という思いが助長されている。わかろうとし出した前兆なのか?とも思うのだけど。。いや、そんなことは。。(それなりに他の人に興味も持ってるつもり…)
わからないをわからないままにする気持ち悪さってありませんか。でも わからないものを 肚落ちもせずに"わかる"としてしまうのもまた恐怖っていうか、そこはかとない胸糞悪さがあるんです。
世話になった人と年末頃から連絡がとれてないのだが、とても優しく、正義漢で、カッコつけな人だったので、とても心配している。
他人に嫌な思いをさせまいと堪え 気を遣うタイプの人なので、随分年上だけど、いとしい気持ち(富山弁でかわいい、大切にしたい的な気持ち)でみてしまう。上から目線かな。でもこういう生意気なところ、可愛がってもらっていました。
先月、絶賛 情緒不安定でよく泣いた時、泣きながら、"涙は緊張からの弛緩(張り詰める局面からの安堵)で出るもの"という気がしたからそう思うのだけど、泣けない人は、ずっと緊張状態なんじゃないかと思う。どんな手を使っても良いから、泣いたり、溜まった毒を出したりして、生き延びることが先決ではないか。彼はよく"自分の母が亡くなった時から、一度も泣いたことがない"と言っていた。無意識で溜めているのでは…
正直さ。"だから言ったのに!"みたいなとこも なくはないんだよ。だけど 応援してしまった責任もあるし 関係者だから。私もつらいとき寄り添ってもらっているし、本当 水くさいな、頼ってくれよ!とも思うけど、自分も苦手なそれを 他人に強要はできないのです。
ただ、してもらった分は返したい。
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