愛される幸せを繋いでいきたい
人から「あなたにだけ話すのだけど…」という話しをされる機会が割と頻繁にある。
たとえば 最近、職場の年下の女の子とコーヒーを淹れる練習をする時なんかに一緒になると人生相談をされる。しっかりしていて、明るくて周りの大人ともしっかり溶け込むので、色々な人に話を聞いているのかな?と思ったら、どうやらそうでもないような雰囲気。
私は私なりに、片手間ではない本音で返すわけだけど、自分の辿ってきた人生に絶対の自信があるわけでもないので、私の意見で良いのかな?とはチラと思う。でも、当人の選択の結果 得られる 当人の人生こそ尊重されるべしと思うので、私は第三者として勝手な意見をいつも言っている。まぁ こういうケースで うっかり本音を聞いちゃうことが ままよくある。
距離感って不思議。基本的には 怒らない人が好きなので、無理やり丸め込もうとしたり、八つ当たりされたりしない限りは、頼りにされると何でもしてあげたくなる。でも 本能のまま 何でもしてあげてしまうのも エゴだと思う。
大好きな人が逝ってしまったことで、人を愛することの怖さ(寂しさ、悲しさで心が壊れて自分をなくしそうになる怖さ?)を感じたけど、死や別れも 自然のサイクルだから、自然なことを 怖がって大切な人や大好きな人を作らないというのは やっぱ何か 違うなって思った。
だってあの方は、大事な旦那さんが交通事故で突然亡くなってしまってから、フェスを心底楽しみにしていた旦那さんのことを思い、新たにフェスを一緒につくることになった仲間のことを、それこそ家族のように大事にし、愛情を注ぎ、育ててくれた。死が近い頃、「愛してる」って抱きしめて泣いてくれた肌感、ずっと忘れない。心から大事にしてもらった。この恩を 私が独り占めするのはもったいないから、送っていきたいなぁ。。私は あずささんに出会えて どれだけ幸せだったか。次の人にも繋いでいきたい。
人を大事にしたいけど、どうしたらいいのか よくわからない。でも 色々やって試しながら、これがそういうことなのかな?いや違うかな?とかって、試行錯誤しながら トライしてくものなのかもしれない。あの世に行って また会えたら、会いたくてたまらなかったと号泣するかもしれない。「頑張っ(て)たね」って 笑って欲しい。自分でもちゃんと「頑張れた!」って思えたら、「あずささんみたいになりたくて 私なりに頑張ったんです!」って 胸張って言えるかな。
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