上善如水
1月は音楽芝居DAHLIAと北陸即興、3月は品川心中、5月アロハフュージョン。
5月まで走ったら、その先は 表現活動系は一旦 休もうと思ってるのだけど、ありがたいことに 一緒にやらないかと声をかけてもらうことが度々ある。でも 1回ゼロにしたいからインド帰ってきた来年以降なら…と答えを渋る。別のとこでも来年からバイト代を出すから週1で手伝ってもらえないかと言われ、インド帰ってくるまではと 結局 濁した。
一番 稼がせてもらってるバイト先では「インドからのリモート仕事 という選択肢もある、あくまで選択肢として」と提示され、「そこまであたしのこと かってくれてんの?(なのにインドとか言いだして本当ごめん^^;w)」と思う。だが そんなことを言いながら「でも ゼロになりたくて 行くなら 半端に仕事なんてしない方が良いのか…」と自己完結もしており、この人は 察してるくせにカマかけるのが癖なのか、察するテンポが遅いだけなのか、どっちなんじゃい と思う。インドからのリモートは考えてないかなと応える。
会社の代表の方もよく言うけど、人生は選択の連続で、自分の生き様・行動は すべて自分の意思表示だと、私も同じく思う。だからこそ 自分が面白いと思うことを、あれもこれもやってしまってしんどい、っていう今の状態を ずっと続けることが現実的だと思えない。なんか「何とかやれてる」とも言える気はするけど、あれもこれもやってる状態って なんか 苦しい。もっとこうできれば、ってのは絶対出てくるので、その度に どれが1番 軸なの?って、自分で自分を問い詰めてしまう。
でも 中途半端なのに 重宝されがち。それは多分 その集団の穴を見つけて埋める作業を 無意識でしてしまうからな気がする。ただ よかれと思って何事も抱え込むうちに、本来 自分がしたかったことを疎かにするような。。断る力の大切さ。
やりはじめたことには たとえ中途半端でも最後まで関わらねば ってなるのは 単なるエゴかも。長い目で見たら 逆に 責任感がないかもしれない。(中途半端に関わるということが)そうしかできないなら、それはそれで 猫のように あれもこれも中途半端でも関わってやりきるっていうのが 私の役割なんだろうけど。
心が もういない彼女への憧憬を止められないでいる。自分の気持ちに正直になるほど、今 目の前に提示されている選択肢 以外のものに 導かれてしまう。
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