お迎え

今日は、インドのクーリヤッタムWSでご一緒した女の子の芝居を観に行こうと思っていたが、玄米の仕分けをしていたら思った以上に時間が経っていた。というか、先週は 祖父の3回忌で実家に帰っていたし、その前の週はくだんの彼のコロナ騒動で毎日仕事。3週間位ずっと人に会う予定が続いていたので、人疲れしていた感があり、家の掃除をはじめとした家事に勤しみました。

まぁ 家を出る時間の目算が甘くてリサイクルセンター閉まっちゃったり、ATMの臨時メンテで家賃振込ができなかったり、そーいうこともありましたが、洗濯、掃除機、ゴミ箱掃除、風呂場の排水溝掃除、燃えるゴミ出し、これから夜は惣菜づくり祭り、終わってから飲むお疲れビールの買い出し!いえー! とかいった風で ちゃっちゃか動き回り、まぁまぁ いいセンいったんじゃね!と思えて よかったのですが、、

買い出しから帰る途中、いつもバイトでお弁当配達に行っていた方のお家から、黒い服を着たお父さんがトラックを運転して出てこられて、あれ?と思って見たら、家の玄関に 紫の幕がかかっていたのです。先日 肺炎で入院されて、退院できるといいなと思っていた矢先のこと。思いがけぬ形とタイミングで知ってしまった。退院されたら「お帰りなさい」って言って お弁当 届けたいな なんて思ってた私の楽観主義加減よ。

お迎えは 誰でもいつかは来るものだけど やっぱり寂しい。お葬式の花の注文は、葬儀場から この近くの花屋(3つあるらしい)を順にまわして注文をいれるようなので、もう1つのバイト先の花屋で用意することになるかは定かでない が、昨日 花屋で葬儀の注文を受けたばかりだったので、人の死を儀式的に受け入れる機会に立ち会ってる気がする。(普段は すぐ 感情移入しちゃうので)

私は、「死んだように生きる位なら 死んだ方がマシ(実際 死んだら 悲しませるんだろうしそれはせんけど)」と思っている部分があるくせに、肝心なところで勇気が欠けていて、会いたい人に会いたいと願うことさえ 気後れしたりする。恵みと繁栄がありますように、などと祈るだけ祈って身を引いてしまう。私は私で やりたいことやってるから幸せなんだけど、心の真ん中の部分が、本当は少し寂しい。

私にもいつかお迎えがくる。寂しさの真ん中と、向き合えたらいいなぁ。

Nさん、どうぞ安らかに。

不器用なりに自由を求めてあがいてる女の日記

明るく、おかしく、逞しく。