花屋バイト
昨日も昨日とて、友達が遊びにきてくれた。
予定では、午前中 山の花をつんで自然と戯れ、昼ごはんを食べ、午後は花屋の見学に来てもらうはずだったんだが、キッチンの網戸からヤモリが侵入したり、ハニコ活動の業務連絡なりをやったり、直前になって玄米の選別(カメムシが食って黒くなったところや、籾がついてる米を除去したり)をし始めたりしたら 時間がなくなり、玄米の選別を手伝ってもらったのに 昼飯までに玄米は炊きあがらず、代わりに夏野菜をたくさん食べてもらい、バイト先で近況を語りあう会となった 1日であった。予定は未定もいいとこである。私の友達は気が長くないと務まらないであろう。(彼女は小学生の時からなので慣れっこであろう☜)
今 私の働かせてもらっている花屋は、高齢者の多い田舎の(種苗店を兼ねた)花屋で、お葬式や仏壇周りの入り用にて立ち寄られる方が多い。
昨日は、先日の南砺市の議員さんの献花台が市役所に設置されていることに伴い、そのお花を買いに来られる方や、お寺さん用の仏花を買いにこられる方、翌日の葬儀場に届ける供花の事前準備(オアシスを水につけたり、在庫を確認したり、花のお名前を確認したり)などをした。仕事を通じて「世の中 こういう風にまわってるんだな〜」っていう片鱗を知るのは 面白い。
今後 北海道へ行って インドへ行ってってする中でしみじみ物思いたいのは「生きるとか、死ぬとかって、一体 どういうことなんだろう」ってことにあるんだが、今も今で、そういうのはずっと自分の中で潜在的にテーマとして感じている。B型作業所で働いている皆のことを考える時もそうだし(彼女たちはどうありたいだろう、どうあれたら今より幸せを感じられるのだろう、とか考える)、花屋で供花や仏花を買われる人を眺める時もそうだし(花を贈りたい・贈らねばならないほどの関係性の他人がいることについて思いを馳せる)、ハニコで自然由来の食べ物や染め物のことをする時もそうだし(そこにこだわる経緯、それがもたらす感覚、それを身体にとりいれる・使っていくことの意味を考える)、ポヤポヤ生きててミスも多いけど それなりに 日々 脳内も身体も 忙しい。
ゆっくり休みたいけど 虫が怖いので、眠りが浅い。エプソムソルトのお風呂にラベンダーの香りをつけて入るのが、お酒よりもリラックスできるなーと思ってて、(お酒は相変わらず好きなんだが、弱くなってる)着々と年を重ねているなーって実感します。
0コメント