感慨深い…

友達の家の掃除を手伝う。築110年の古民家をリノベして過ごしている友達は、2階の屋根裏部屋を自身のアトリエスペースに改装したいらしく、前の家主の置いていった荷物(古書/古雑誌 や 農機具、家の端材、その他)を 全部出すという 掃除の手伝いをしていた。

マスクも服も軍手も貸してもらいながら作業なんだが、マスクしてるのに鼻水が真っ黒になるという面白い体験!喉もケホケホする。その位、舞っている炭素の粒子が細かいんだなと驚く。

古かろうが新しかろうが「良い物を大切にする」感覚は 私は あずささんが亡くなってからより強く意識しているのだけれど、片付けで前の家主の物を捨てる時、その人にとって 大切なものとそうでないもの、他の誰かにとって 大切なものとそうでないもの、ってあるんだろうなぁとポヤポヤ思いながらの作業。

自分にとって価値あるものは、時に他人からするとただのゴミ。思い入れの強いものは尚のこと そう。重い思いの入ったものは手放していった方が良い、と思った。重いものを抱えることができる自分を誇りたいのは 自分のエゴだなと。他人にとっても 救いになるのは、暗くて重いところから抜け出せるような気持ちになる何かかもしれない。重い気分の時には、どうともしなくても重いところ(下)に自分の意識が引っ張られていく。

一時 心が通じ合わなくて、運営委員 抜けるって言った時には、また 友達の家で 掃除を手伝ったりなんだり できる日がフツーに訪れるとは思っていなかった気がする。あの頃は、もう心が痛くて痛くて仕方なかったのにな。そして 感慨深さに浸る時、私の脳内では 最期にあずささんと会った時、私が彼女の衰弱を受け入れられなくて 未来の話しをして止まらなかった時に、天井を見つめて 指を組んで 祈っていた姿がプレイバックするんだ。最期にハグした時、あずささんは私に愛してるって言ってくれたけど、あの時 天井を見つめて、何を祈ってくれていたんだろう…って、何度も思うんだ。そして、その祈りを叶えたいなと思うんだ。それが具体的に何かはわからないけれど、多分 軽くて、明るくて 暖かくて 幸せで 豊かなところにあるもので、重くて 暗くて 冷たくて 孤独なところにある何かではない気がするんだ。。。

本当、無駄に縁があるなぁと思う人の新居飲み会にも参加した。私個人的には、もう積極的に彼と縁を深めようという気はないのだけど、徒に切れないよう 采配でも されてるいるのか?という気がする程度に縁がある。あずささんの願いが反映されてたりするのかな?とか思う。もう 昔ほど 憎たらしい!ってほどの熱もないことを確認する度に、私の中のエネルギーが軽く柔らかくなってることを感じて、生きてることの愛おしさみたいのが溢れてきて 涙出そうになる。無駄な経験って、ないんだろうな。

不器用なりに自由を求めてあがいてる女の日記

明るく、おかしく、逞しく。