なんと
久々に南砺市。
南砺市は元旦の揺れが一番ひどく、余震もあるけど そんなに感じない。自分の住んでいる射水市は 割と揺れてんだなと実感した。うちも能登と比べたら全然だけど、よく見りゃ 家の壁や道路にはヒビが入っているし、余震で うっすら船酔い感覚になる。でも 南砺はそれが全然ない。地盤も盤石で、距離も離れているから?
昨日の昼も城端で、美味しいお弁当と働くみんなの笑顔に癒されたわけですが、花屋さんの新年会&送別会で いただいた お酒もお料理も 相変わらず美味しかった。最後、ポロポロ 泣いてしまった。溢れるほどの感謝の思い。また 遊びに行こう。会えると嬉しい人が増えるのは 人生の喜び。
しばしのお別れに際し、相手が泣いてくださったり、自分が泣いたり、色々パターンがあるのだけども、2人で泣いたのは、ゲストハウスの世話をしてくださったNさんと「自殺してしまった仲間のことがショックで浮上できない時期があった」という話題になった時。Nさんにもそういう時期があって、越えてこられたけど、やっぱり 忘れられないね、と言われて、心が共鳴した。
自殺が他殺より大罪となってしまうのは、残された人の感情がより割り切れないからなのだろうか。生きている人に 無力感を与えてしまうから? 遺書に綴られた最期の言葉は 彼なりの思いやりに満ちているけど、結局 遠くに行くことを選んだその人に、見切られ、突き放された気がするのかな。こういうのは 言葉にするのが難しい。自死を選んだ彼を否定したいわけではないが、無力感と寂しさと罪悪感?みたいのがふと襲ってくる。こういう気持ちを与えたかったの?やり方が残酷だよ、位の嫌味を言いたくなる。言えば 謝ってくれるだろうか。
とはいえ私も ここ2年位、メンタル的に生死の狭間をさまよっていた。良いこと、楽しいこと、沢山あったんだけど、”心の底辺に流れる 生きてるつらさ” みたいなのが すごいあった。過去形で思えるのは、今をゴリゴリに生きてる人達との出会いと、一緒に過ごした時間が「生きてるうちは(時々 上手に手を抜きながら)一生懸命 生きなければあかん」って思わせてくれるようになったからだ。「何で南砺行ったん?意味わからんかったよ」と家族にも言われたけど、うまく言葉にできないけど、心が回復するために 必要だったな。
しんどくても生きてくことは大事だ。いつか「あ、今のこの経験は、この為に必要だったんだ。全部 繋がってたんだ。」と思える瞬間がくる、と周りの人はみんな言う。もうしばらく先の未来で、それが 私にも訪れるんだろうな。
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