おや

唐突だが、私はもしかしたら 何かしらの障害がありそうな気がしてきた。一体 どういった関係のそれかはわからないが。でも もし それがそうなら、自分自身の生きづらさに対する何かしらのアンサーに巡り合う気がする。今よりもう少しだけ 生きやすくなれば、私が世の中に対してできることに 気づける気がする。これにはもう少し 知識が必要だ。

障害がある・ないは 人の幸不幸に関係ない(気がする)。幸せ=仕合わせというのを実感するゆえに、周りとの調和がとれているかどうか?によるところがでかいのでは?という肌感。私が漠然とアーティスト関係の人との居心地がいいのは、アーティストには意外と障害を持っている人が多い気がするため、同類感を感じやすいのかもしれない。全部の共感は難しいけど。(新しい視点を提供できるアドバンテージは、いわゆる「普通の人と言われる人ができることができない人」にある気がする。それはつまり、できないことを補って余る何かを身につけなければ、変な人は 社会で生きていけないからである。)

思考が浅いかもしれん、一応 備忘録。

人から命令されることが 本当に嫌いだ。叱られるのも嫌いだし、ため息をつかれるのも嫌いだ。誰も私の責任をとってくれない未来が来るのは自分が一番わかっているのに。(とって欲しいとも思ってないし)理解できないことが、虐待に繋がる時はあるのに。真綿で首を絞められるような感覚は、自信・自尊心の欠如と、近親者の一般常識の押し付けにあるのかもしれない。

不器用なりに自由を求めてあがいてる女の日記

明るく、おかしく、逞しく。