自分責め癖
私は今、小学校時代の幼馴染のお家にお邪魔していて、文字通り「居てくれるだけでいい」という愛情を余すところなく注いでもらって、だいぶ 人として 回復してきました。人間的なメンタルというか、私、すり減ってたんだな… って 今、とても思っている。
ここに来て1ヶ月半位経つんですが、最近 ようやく「こんなによくしてもらって申し訳ない。成果出さなきゃ 尻の座りが悪いなぁ…(ふるふる)」という思いから解放されてきました。
「成果出さなきゃいる意味がない」という思いは、自分の今までの生き方の代償だ。「コイツ 本当 自由だな。でも、やれと言ったことはやってくれるし、まぁ 目 瞑っとくか…」と思われるような働きをしていれば、自分のやりたいように生きることに罪悪感はないはず。だってやることはやってるもん、とか思ってた。(どんだけ自分勝手な自信家だよって話しだが)
でも そういうことではないね。一生懸命やってたら、その分 自分が抜けた時に大きな歪みができるし、それによって バランスを崩したものに対する責任など、辞めた人間にはとれないんだ。
正直、そうやって 一応 自分なりの筋は通しているつもり、としながら、自分勝手に振る舞っている自分に気づいている部分はあり、安易に自分を責めることで、振り回した人、傷つけた人への贖罪みたいに していたけれど、そんな勝手なことはないよな。
自分を責めるという解決法は非常に安易だ。自分を責めても、現実には何の影響もないから その方法をとるのは平和なんだけど。そうやって 一時的に気分が落ちて、忘れて、また繰り返すなら ただの自己愛。自分が望んでない世界を自分で引き寄せて、悲しい時、誰かが責めてくれれば 謝れて多少スッキリもできようが、責めてもらえないからと 自分で自分を責めて その場をやり過ごし、自分の罪悪感を薄くする。こういうの、あまり健全なコミュニケーションじゃない。自分がいて、相手がいて、自分の存在が相手に影響を与えているのに。
何か うまくいかない時、自分を責めず(相手を責める必要も勿論ないが)、相手にちゃんと求め、返ってくるもの/返ってこないもの、それぞれを 受け止めながら、関係性を積み上げていくことが、とても大事なんだろう と、最近 改めて思ってる。
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