ふと思った
相手が何を欲しがっているか、求めているか、
察して、提供できることが大事な気がするけど、
自分が求めていることが何か伝えるのが上手な人と そうでもない人がいる気がする。
相手が求めていることが何か察するのが上手な人と そうでもない人もいる気がする。
AIRで 頻繁に言葉として言われていた「贈与」(しあう)という言葉。
でも 言葉の意味をググったら、「提供」(しあう)の方が近い気もする。
(贈与は、現金や不動産、貴金属などを無償で与えること(当事者の一方が自己の財産を無償で相手方に与える意思を表示し、相手方が受諾することによって成立する契約)、提供は、金品や技能などを相手の役に立つように差し出すこと、寄付は、公のことや事業のため、金品や品物を贈ること、らしい。)
時々 自分が見えているものを あえて見ようとしない時があるけど、
それは単に、自分が今 見ようとしているものを見るために必要な遮断行為で。
見捨てようと思ってるわけではないんだよね。
***
ヘルプサインを出されてる気がするけど、受け取り方をどうすべきかちょっと悩む案件があり。言葉にすれば簡単だけど、それで本当に相手に伝わるかは別問題だと感じてる。相手の言葉を受け入れる余裕がない時 正論のシャワーを浴びても痛いだけだしね。”正論をください!と言うのが あるべき姿であり、正解なんだ!”と、自分を痛めつけて 頭を下げてらっしゃる気がするけど、まずは 心を癒すのが先な気がする。って、思ってたのに…。言葉を額面通りに受け取って 中途半端な返しをしちゃった気がする。 ナンセンスだったなぁ。深い考えもなしに喋り過ぎた。挽回しよ…。
0コメント