縁とタイミング

高校演劇の指導が終わった。

毎年、やる芝居の中身よりも、部員同士のコミュニケーションの中にドラマを見つけてしまう。(☜)自分が高校生の時も「賞をとれるかどうか」ということに多少の重きを感じていた気がするけど、この歳になると、よい出来事も悪い出来事も、過ぎてしまえば 全部 過去の話しでしかなくなるのだから、今や今に連なるこれから を どう生きるか?の方が、今 賞をとることよりもよっぽど重要だと思うのであった。「言うは易く、行うは難し」ってことを、アッサリと言ってのける無責任な立場 万歳。(?)

去年の部長さんと今年の部長さんの関係性を見ながら、私はどちらかというと劇の中身よりもこういう人間関係を演出したいんじゃないかしらと感じる。(「自分が見たい人間関係を斡旋しようとしているなら それはエゴだよなぁぁ」と冷や汗をかきながら。。)結局、高校時代に可愛がってるつもりだった後輩を傷つけまくったこととかが、記憶のどこかに残っていて、勝手にその歪みをとりたくなる(のかもしれない)。とれなくても、誤解なきように伝わるといいなと お節介おばさんが発動してしまう。

自分は、付き合いの長い友達が比較的多い方だけど、今 この瞬間に 自分の周りにいる人達との人間関係を大事にするタイプでもあるので、冷たいと言われることも多い。(今を大事にするために、以前を疎かにするから)ほんでも 続いてる友達は、そんな私の面倒くささもひっくるめて私のこと大事にしてくれてんだろな。そういう人は 大体 腹を割って話すことができる人達だから、他人と腹を割って話すこと、相手の立場を受け入れつつ 自己主張するということを、演劇という場でやることで、一生の友達的なのができたらいいな などと勝手にお節介しようとしているのかもしれん。。

難しいことはいいや。とりあえず 可愛いわ。来年はやらない気でいるけれども、みんなめっちゃ可愛い。

不器用なりに自由を求めてあがいてる女の日記

明るく、おかしく、逞しく。