楽しい
稽古楽しい。高校演劇指導に似てるかな、雰囲気。でも 演出は別にいるので、しゃしゃり出ると船頭多くして船山に登るという諺もあるので、基礎として演劇ワークショップみたいなこと一緒にやったり稽古中の流れを仕切ったりした。
年を重ねて 身体も硬くなってるし、続けてきてる基本もないし、さもしい昔の経験貯金で保ってる感じがするんだが、「始めたばかりの人に抜かされることはあるが、現時点では、始めたばかりの人より経験値がある」という当たり前のことを しみじみ思い知る。身体(見た目や体力)はどんどん下降線を辿るけど、人生経験の多さは背中で語れる程度には 蓄積している。忘れてく感覚もあるけど…(死)今 私が持ってるもので、何か人の役にたつものがあれば どんどん明け渡したい。
演出的立場にいると、相手に吸収してもらいたいことと、相手が吸収できることは別物だなぁと思う。どうすれば相手がより吸収しやすいか、一時的に 相手に嫌な思いをさせてでも、相手にとって良いと思うことを伝えたい。だから 一度は試してみるけど、成長の壁を 越えれるか 越えれないかは 結局 本人次第だなと思う。とかく やる前から 無理だとか、自信がないとか、自分で決めかねるから人に聞いてみる、といった道を選ぼうとする人には、どうして?と返して 自分で考えてもらうようにする。
私 あんまり マインドが現役じゃないかも。嫉妬されるの苦手だしな。。一端の何某になれなかった身として、細々と等身大で物事にあたることが 唯一できること。種に水をやって、芽吹きを見守り愛でるようなことが好きだ。その後の厳しい環境を生き抜く力を養い育ててく力は 私にはない気がする。多分 そこは向いてない。
それにしても 仕切ると相手から敬語を使われて、すぐ立場を上下で固定されそうになるので、反射的に敬語に敬語で返したり、何か意見を言ってもらえた時に 敬語で返したりしてるんだが、クリエイティブは異分子同士の集まりであることを自覚して やいのやいの やった方がお互いやりやすくね?と思うんだけど(まぁ私が自己主張 強すぎて引いてたほうが楽なのかもしれんが…)
でも 主張の強い人と弱い人がいて、引っ張る人と引っ張られる人がいて、ぶつかる人と均衡を保つ人がいて、そういう集団の中で 物事が動くのが自然のプロセスと言ってしまえば、それはそれで納得できるかな。。いつ何時でも 下剋上上等と胸に刻んで 柔軟でいた方が、関係者の取りこぼしがなく、個人でなく”集団の目指す理想”的なものに近づけるかもしれない。って考えたら、大義は焦っては成し得ないといえるね。
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はぁ… ほんで また私が頭を悩ますの違うやろと思う分野だが 弟の愚痴をさせてくれ…!☜
弟の友達が結婚するらしく、「〇〇君 おめでとう!祝」と返したら「ありがとう」と返され、「いや、おまえじゃないから。〇〇君に言ったんだし。」 となる。疲れる。「〇〇君に俺の分も幸せになってもらうわ😇」と言ってる姿が目に浮かんだから。お前の幸せはお前がちゃんと掴め、男だろ。愚痴愚痴 言ってんなら別れろよ、相手の時間 考えろ、とか思ってしまう。でもあいつなりに頑張って、ナヨナヨ悩んでる最中だろうし、流石に言葉にして言うのは可哀想だと思うけど、なーんで こんなに女々しく育ったかな。私の図図しい血を分けてさしあげたいよ。。
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