寂し過ぎて
「寂し過ぎて死ぬ」
というのは、あながち嘘ではないと思う。
土曜。
御年92歳の祖父が危篤であると 病院から連絡を受ける。
まぁ 大往生の類だ と 思ってはいるけど、それなりに 心は揺れるし 涙もろい週末を過ごす。
今週もつかどうか位と聞いているが、コロナだから付き添いができない。
最期の時が来たら、病院から連絡をもらって… という流れになるという。
うちは祖父母をはじめとした家族のキャラが濃い。
1人暮らしを辞め 実家に戻ってから、寂しさは消えたけど イライラは増えた。
元々 協調性ないから…。←
イライラする度、大人げないと思いながらも、FBに 家族の愚痴を書き綴ってきたのですが ← 意外とこれが好評で、ゆくゆく まとめようと思い、家族関連の投稿にタグ付けをしていました(我ながら勝手。)
祖父の危篤に際し、それらを再度 振り返っていると 何かまぁ 泣けてくる。
デイサービスでも グループホームでも 病院でも、手厚く 診てもらっていたけど、結局、爺ちゃんは 寂しくて死ぬんでなかろうか と ぼんやり思う自分がおる。
愛のある悪口ですが 、祖父は昔から 不器用で 間が悪かった。笑
私が風呂上りに服を着替えているタイミングで 脱衣所に入ってくる、とか。笑
祖父が危篤で大変ってことは重々 理解してるけど、私は 今 すごく会いたい人がいる。
残酷な気もするけど、人間って そういうもんだと思う。←
離れていたら、どんなに気持ちを寄せても埋められないものはある。
会って何するわけでもないし、会って埋まるのかもわからないけど、物理的にそばにいたいって感情を無視すると自分で自分を殺すと思うし、動ける時に動こうと思う。
これから どの道を選ぶ?っていう岐路にいるから。
祖父も 今日・明日で死んでしまうかもしれないとはいえ 私だって いつ何時 何で 死ぬかは わからない。
それは 誰だって 等しくそう。
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